エド・マコーレーはどんな選手だった?選手としての特徴からコーチ時代までを解説

エドマコーレーNBA
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バスケットボールの殿堂入り選手の一覧を見ていると、「エド・マコーレー」という名前が目に入ります。
殿堂入りしている選手ですので、相当な影響を与えた人物であることは理解できるかと思いますが、
特に日本ではそこまで有名なわけではありません。

そこで今回は、殿堂入り選手である「エド・マコーレー」について、
選手としての特徴やコーチ時代など、様々な情報をまとめてご紹介します。

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エド・マコーレーとは?

まず、日本ではそこまで知られていないエド・マコーレーという人物についてプロフィール情報をまとめてご紹介します。

プロフィール

エド・マコーレー

名前:チャールズ・エドワード・マコーレー(Charles Edward Macauley)
ニックネーム:イージー・エド
誕生日:1928年3月22日
出身:アメリカ合衆国ミズーリ州
ポジション:センター
身長:203cm
体重:85kg前後
所属チーム:セントルイス・ボンバーズ(1949-1950)、ボストン・セルティックス(1950-1956)、セントルイス・ホークス(1956-1959)

表彰等

第1回オールスターMVP(1951年)
NBAチャンピオン(1957-1958)
永久欠番:22(ボストン・セルティックス)
バスケットボール殿堂入り(1960年)
オールNBA1stチーム(1951-1953年)
オールNBA2ndチーム(1954年)

選手としての成績

641試合出場
11,234得点
4325リバウンド
通算FG%43.6%

上記の年代でわかるかと思いますが、戦後間も無く活躍していたバスケットボール選手であり、現状あまりにも情報が少ないというのが実際のところです。

選手としての特徴とエピソード

エドマコーレー

プロフィールは上記の通りですが、ここからは選手としての特徴やエド・マコーレーにまつわるエピソードなどをご紹介します。

プレースタイル

203cmという現在のバスケ界では、センターとしては小柄な身長ではありますが、当時のバスケットボール界では200cmを超えている選手は少なく、比較的大きな選手でありました。

とは言っても、当時もセンターというポジションは大きな選手がやり動きが遅い選手が多いという印象の中で、フットワークやスピードを活かしたプレイをしており、フックシュートやレイアップなどが得意技で、他のセンタープレイヤーはなかなか守ることができませんでした。その結果、FG%が平均で50%に迫るなど、非常に高確率で得点を決められる選手として活躍していました。

地元セントルイスとの縁

エド・マコーレーはミズーリ州セントルイス出身で、NBA入り前は地元セントルイス大学でプレイしていました。

大学では1年目から活躍し、ナショナルインビテーショントーナメント(当時のアメリカ大学バスケでは、最も影響のあるトーナメント(現在のマーチマッドネスのような位置付け))での優勝までチームを導いていきました。大学は4年間を過ごし、しっかりと卒業した上で、NBAドラフトにエントリー。

当時のNBAでは1巡目指名権を放棄することで、地元選手をドラフトで指名できるという「エリアドラフト」という制度があり、地元のセントルイスに本拠地を置いていた、セントルイス・ボンバーズに地元選手枠としてドラフト指名を受けて、NBA入りを果たしました。

1年目からボンバーズのエースとして活躍したものの、シーズン終了後にチームが解散するということが発表され、ボストン・セルティックスに移籍しました。
当時のセルティックスは強豪ではなく、ドアマットチームでありましたが、キャリアのピークであったマコーレーの活躍もあり、強豪チームへと成長。

しかし、ボストン・セルティックスの成長と共にキャリアを過ごしていたところ、1957年のドラフトに後に伝説のプレイヤーとなる「ビル・ラッセル」がエントリーすることが決まり、2位指名権を持っていたセントルイス・ホークスが地元出身のスター選手あるエド・マコーレーを欲しがっているのを知り、ビル・ラッセルと、エド・マコーレーと1選手でのトレードが成立し、セントルイスに帰ることになりました

ちなみに、当時は家族をセントルイスに残してきていたため、このトレードはそこまでマコーレー自身嫌なものではなかったと言われています。

トレードされた直後のシーズンのプレーオフでは、NBAファイナルまで勝ち進み、自身のキャリアピークを捧げたセルティックスと激突し、ゲーム7まで持つれる大接戦の末に、地元にチャンピオンリングをもたらしました。

チャンピオンになった直後、30歳の若さではありましたが、地元チームの要請があり、ホークスのヘッドコーチになることになり、キャリアのピークの途中であったと言えるタイミングでの現役引退となりました。

引退後から生涯を終えるまで

引退は、ヘッドコーチ就任と同時であったため、バスケットボールから離れた訳ではなく、そのまま自身のチームのヘッドコーチとしてのキャリアをスタートさせました。

コーチのキャリアはそこまで長くなく、2シーズンのみでしたが、2シーズン目にはNBAファイナルまで勝ち進み、ボストン・セルティックスと対戦。ここで破れ、そのままコーチを退任しました。ちなみに、このシーズンからボストン・セルティックスの伝説の8連覇が始まっています。

マコーレーのコーチとしての通算成績は、89勝48敗と悪い成績ではなく、当時セルティックスとホークスの2強時代であったことを考えれば、NBAファイナルまで進出していたため十分な成績ではあったのですが、32歳の若さでバスケットボールの仕事を辞めるという決断になりました。

永久欠番と殿堂入り

イージーエド

選手としてNBAファイナル2回、コーチとして1回出場し、優勝1回を経験したキャリアで、プレイヤー個人としてのピークはボストン・セルティックス、チームとしての好成績はセントルイス・ホークスで出した結果となりました。

ボストン・セルティックス時代に身につけていた番号の22番がセルティックスで永久欠番になっていますが、ボストン・セルティックスではNBAファイナルにすら進めておらず、逆に優勝し、ヘッドコーチまで努めたセントルイス・ホークスでは、在籍期間が短かったこともあって永久欠番にはなっていません。

しかし、バスケットボール普及初期段階に、業界全体に与えた影響の大きさを讃えられ、殿堂入りを果たしています。

2011年11月8日に83歳の生涯を終えることとなりました。

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まとめ

いかがでしたでしょうか。
エド・マコーレーは終戦直後のアメリカで、セントルイスという地元を主軸に活躍したプレイヤーで当時の2強チームであったボストン・セルティックスとセントルイス・ホークスの両チームのドアマットチームから強豪チームにまで成長させた選手でもあります。
センターとして、そこまで大きな選手ではありませんでしたが、俊敏な動きでプレイをし、小さな選手がセンターを務めるさいのお手本にもなった選手です。

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