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【神様】マイケル・ジョーダンはどんな選手だった?現役時代と名言、現在を紹介

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【神様】マイケル・ジョーダンはどんな選手だった?現役時代と名言、現在を紹介 NBA
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バスケが好きな人なら誰でも知っている名前が「マイケル・ジョーダン」です。

ジョーダンは、言わずも知れた「バスケの神様」ですね。しかし、2020年現在の大学生以下の人たちは、ジョーダンのプレーをリアルタイムでみたことがないことでしょう。

さらに、最近バスケを始めた方からすれば、完全に「昔の人」であって、リアリティがないかもしれません。

そこで今回は、改めてマイケルジョーダンをよく知らない方のために、彼が残した偉大な功績や現役時代、名言から現在の状況まで詳しく解説します。

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マイケル・ジョーダンとは?

まず、マイケル・ジョーダンのプロフィールをご紹介します。

プロフィール

Instagram

本   名 :マイケル・ジェフリー・ジョーダン(Michael Jeffrey Jordan)
ニックネーム:MJ、Air
身   長 :198cm
ポジション :SG
誕 生 日 :1963年2月17日
出 身 地 :アメリカ合衆国ニューヨーク州
所属チーム :シカゴブルズ(1984-1993,1995-1998)、ワシントンウィザーズ(2001-2003)
出 身 校 :ノースカロライナ大学
NBAドラフト:1984年(全体3位)

人物としての特徴

技術者の父と銀行員の母の間の3男として生まれ、当時の黒人家庭では比較的裕福な環境で育ち、生まれたニューヨークからはすぐに引越し、幼少期の多くをノースカロライナ州で過ごします。

バスケの他にも野球やアメリカンフットボールなどのスポーツが好きで、特に野球はバスケットボールを同じレベルで愛しているスポーツでした。性格的には、負けん気が強く、完璧主義者であることが広く知られていますが、プライベートではよく冗談を言ったり、明るく振る舞うことが知られています。

しかし、プレーのことになった瞬間に鬼のようにチームメイトに当たるため、チーム内での衝突もあったことが知られています。また、父母や兄への愛情が語られるインタビューがとても多く、家族に対する愛情が深い人間でもあります。

選手としての特徴

マイケル・ジョーダンは、勝利への執念が半端ではない選手であり、多くの緊迫したゲームでゲームウイニングショットを沈めるなど、ずば抜けて勝負強い選手です。

また、プレイヤーとして最大の特徴である、驚異的な身体能力、特にジャンプ力を活かしたレイアップやジャンプショットなどは芸術の粋に達しており、動画でプレイを見るだけでも、「異質」であることがわかります。

ジョーダンが現役時代であった頃は、現在のNBAよりもロースコアゲームが多発していたディフェンス優位な時代であったにも関わらず、平均得点が30点を超えるなど、圧倒的な得点力を誇りますが、ディフェンスも名手であったことが知られており、攻守ともに最高峰のプレイヤーでありました。

しかし、意外に知られていない事実ですがNBAオールスターゲームの前に行われるスリーポイントコンテストの史上最低得点は、マイケルジョーダンが叩き出したものになります。

ジョーダンが残した成績

では、ジョーダンが輝きを放ち出した大学時代から現役を退くまでに残した成績をご覧ください。ちなみに、マイケルジョーダンがNBAでプレーしたのは15年間です。

個人受賞等

USAバスケットボール男子年間最優秀選手:2回(1983,1984年)
NBAファイナルMVP:6回(1991,1992,1993,1996,1997,1998年)
NBAシーズンMVP:5回(1988,1991,1992,1996,1998年)
NBA最優秀守備選手賞:1回(1998年)
得点王:10回(1987,1988,1989,1990,1991,1992,1993,1996,1997,1998年)
スティール王:3回(1988, 1990, 1993年)
NBAオールスターゲーム出場:14回(1985~1993, 1996~1998, 2002, 2003)
NBAオールスターゲームMVP:3回(1988, 1996, 1998)
NBAスラムダンクコンテスト優勝:2回(1987, 1988)
オールNBAチーム:1st 10回(1987~1993, 1996~1998) 2nd 1回(1985)
NBAオールディフェンシブチーム:1st 9回(1988~1993, 1996~1998)
新人王:1985
NBAオールルーキーチーム 1stチーム : 1985
バスケットボール殿堂入り:2009年

チームでの功績

NCAAチャンピオン(全米大学選手権):1回(1982年)
オリンピック金メダル:2回(1984年,1992年)
NBAチャンピオン:6回(1991,1992,1993,1996,1997,1998年)

上記のように、数えるだけでも一苦労な実績を残しており、史上唯一の新人王、最優秀守備選手賞、シーズンMVP、オールスターMVP、ファイナルMVP、得点王、スティール王を獲得した選手です。

また、NBAファイナルに6回出場し6回優勝するという、化け物じみた実績も残しています。

プロ選手生活は15年ですが、全盛期だったシカゴ・ブルズ時代は13シーズンであり、その13シーズンでこれだけの実績を残していると考えると、どれほど圧倒的な選手だったかが伺えるでしょう。

3度引退した選手

マイケルジョーダンは、40歳を超えてもNBAでプレーした選手でありながら、プロ選手生活が15年しかありません。それはなぜかというと、最終的な引退の前に、途中で2度引退しているからです。その経緯も含めてご紹介します。

NBAデビューから1度目の引退

大学時代に大きな注目を浴びたジョーダンは、鳴り物入りでシカゴブルズに入団。

それまでほとんど勝てなかったチームに加入したことで、1年目からスタメン枠を獲得。3年目に得点王を獲得。しかし、チームを勝たせることがなかなかできず、「セルフィッシュ(独りよがり)な選手」として批判をされることがありました。

このタイミングで監督がフィル・ジャクソンに代わっており、トライアングルオフェンスのシステムを導入して、ジョーダンだけではなく、チームで勝つということを強く意識づけられたジョーダンは、自分の得点だけではなく、チームメイトへのパス本数も増えていきました。

相棒であるスコッティ・ピッペンらの成長もあり、1990-1991シーズンから1992-1993シーズンの3シーズン連続で優勝する「スリーピート」を達成。

しかし、3連覇したシーズンのオフにジョーダンの父親が、路上で強盗に射殺されるという事件が発生し、悲しみにくれる中で、「もう証明することはない」と記者会見で言い残し、NBAを引退しました。

1度目の復帰から2度目の引退

ジョーダン

画像出典:https://melos.media/hobby/4359/

父の死とかねてからのメディアバッシングに疲れたジョーダンは、父と約束をしていたもう一つの夢である「野球選手」になることを決意し、MLBシカゴ・カブスの下部チームに入団。実際に選手としてプレーしましたが、全く活躍できませんでした。

この頃には、バスケへの情熱を取り戻しており、NBA復帰を決断。

1995年3月にシカゴ・ブルズにシーズン途中に復帰し、そこそこの活躍をしましたが、プレーオフではまさかの敗戦。ここからバスケ選手の身体を取り戻すために猛練習し、1995-96シーズンには72勝10敗という史上初めて70勝超えを達成。

ここから1995-96,1996-97,1997-98シーズンと再び3連覇達成。このシーズン終了後にジョーダンは2度目の引退を発表。この時すでに36歳と一般的な全盛期は完全に過ぎた年齢であったため、完全に伝説が終了したと思われていました。

2度目の復帰から完全に引退

マイケル・ジョーダン

画像出典:https://wallhere.com/ja/wallpaper/207557

1999年に引退した直後に、シャーロット・ボブキャッツ(当時)のオーナー陣にジョーダンが加入することが発表されましたが、揉めたことで実現せず。

翌2000年にワシントン・ウィザーズに出資し、オーナーの1人となりました。このタイミングで、球団の人事責任者のポジションとなっており、シーズン勝利数20台というとても弱かったチームの再建を任されていました。

しかし、ジョーダンが作った人事案ではなかなかうまくいかず、ワシントンウィザーズを助けるために2001年に自らが選手復帰

当時38歳。流石にNBAでは無理と思われていましたが、2001-02,2002-03シーズン連続で平均20得点を記録。2002-03シーズンでは、史上唯一40歳で40得点を記録するなど、年相応に身体能力が衰えていながらも、活躍できることを証明しました。

しかし、約束したチームのプレーオフ出場が叶わず、このままマイケル・ジョーダンは現役を引退しました。

ジョーダンが残した文化・流行の功績

マイケル・ジョーダンは、バスケの世界に留まらず、大きな影響を世界に与え、それが文化や流行となって現在も残り続けています。

23番の重み

画像出典:https://courrier.jp/news/archives/189381/

マイケル・ジョーダンが着けていた背番号23は、所属していたシカゴ・ブルズ、ノースカロライナ大学で永久欠番となっていますが、所属していたチームだけではなく、マイアミ・ヒートでも永久欠番となっています。

これは、マイアミヒートのパット・ライリー氏が、マイケル・ジョーダンにやられた記憶を思い出さないために、自分のチームで23番を付けるのを禁じたことが理由とされています。

また、永久欠番にならなくとも、バスケットボールの世界で「23」の背番号を付けるのには覚悟がいると世界的に認知されており、ジョーダンに憧れた選手の中でも、限られた選手のみが着用するような番号に変わっています。

エア・ジョーダン

マイケル・ジョーダンのプレーの特徴としては、身体能力、特にジャンプ力が凄まじく、さらには空中での姿勢が芸術のようだったため、ニックネームは「エア」と呼ばれるようになります。

ジョーダンがNBA入りした頃のバスケットボールシューズは、アディダスやコンバースが主流でしたが、当時はインサイドプレイヤー全盛期だったため、満足のいく条件でジョーダンはブランドと契約できずにいました。

そこにナイキという新参者のスポーツブランド(当時はほとんどバスケットボール用品は作っていなかった)が現れ、好条件でジョーダンと契約を結んでできたシューズが「エア・ジョーダン1」でした。

ジョーダンの活躍もあり、このシューズが飛ぶように売れ、シューズだけではなく、アパレルにもエア・ジョーダンがブランドとして進出し、ナイキ傘下の1プレイヤーのシグネチャーブランドでありながら、今日までにアディダス、ナイキ、アンダーアーマーなどのトップスポーツブランドと肩を並べるようなレベルのブランドに成長したのです。

この選手のシグネチャーブランドが成功したことで、ジョーダン後のスポーツ選手の多くは、各ブランドと契約を結んだ後自身のモデルを販売するというビジネス戦略を取ることが多くなってきており、プロスポーツ選手の収入のあり方をも変えてしまいました。

ちなみに、2020年現在もジョーダンブランドのライセンス料などがマイケル・ジョーダンに収入として入っており、生涯収入でスポーツ選手全体で1位。2018年の時点で生涯収入が2000億円を突破し、種目の壁を乗り越えて、スポーツ界のトップに立っています。

ユニフォーム丈

ジョーダンがNBA入りした頃のバスケのユニフォームは、太腿の真ん中くらいまでのパンツが主流であり、現在のバスケのユニフォームからすると、相当短いような状態でした。

この状況の中、ジョーダンが少しずつダボダボのパンツを履き始め、他の選手たちに伝染するように少しゆったりしたサイズのパンツが流行し、現在の「バスケのユニフォームのパンツはダボダボ」というイメージを作りました。

ちなみに現在では、「パンツは選手の膝上1センチまで」という規定が設けられたため、極端なことはできませんが、こうしてユニフォームのデザインまで変えてしまったのです。

スキンヘッド

黒人男性によく見られる「スキンヘッド」というヘアスタイル(完全に剃っている状態)は、マイケル・ジョーダンが流行させたと見られています。

ジョーダンは、禿げるのが年齢のわりに早かったのを隠したかったことで、スキンヘッドにしたと言われていますが、当時のジョーダン人気も相まって、特に黒人の若い男性層に受け、スキンヘッドの流行と一般への受け入れが行われたと言われています。

マイケル・ジョーダンの名言

上記のように偉大な実績とキャリア、そして文化を作ったマイケル・ジョーダンは放った言葉が「名言」として取り上げられることが多い選手です。今回はその一部をご紹介します。

I’ve missed over 9.,000 shots in my career. I’ve lost almost 300 games. 26 times I’ve been trusted to take the game-winning shot and missed. I’ve failed over and over and over again in my life. And that is why I succeed.

私は9,000回以上ショットを外し、300試合以上で負けた。ウイニングショットを任され26回も外した。人生の中で何度も何度も失敗してきた。だから私は成功したんだ。

I can accept failure, everyone fails at something. But I cannot accept not trying.

失敗をすることは我慢できるが、挑戦しないでいることは耐えられない。

I’ve never lost a game, I just ran out of time.

試合に負けたことは一度もない。ただ時間が足りなくなっただけだ。

Even if 10 chutes are removed continuously, I don’t hesitate. When the following 1 succeeds, that may probably be the first 1st 100 succeed continuously.

10本連続でシュートを外しても僕はためらわない。次の1本が成功すれば、それは100本連続で成功する最初の1本目かもしれないだろう。

There are no ways but I wrestle by full strength to achieve a goal. There isn’t a shortcut there.

目標を達成するには、全力で取り組む以外に方法はない。そこに近道はない。

Even if 10 chutes are removed continuously, I don’t hesitate. When the following 1 succeeds, that may probably be the first 1st 100 succeed continuously.

10本連続でシュートを外しても僕は迷わない。次の1本が決まれば、それは100本連続で成功する最初の1本目かもしれないだろう。

You can practice shooting 8 hours a day, but if your technique is wrong, then all you become is very good at shooting the wrong way. Get the fundamentals down and the level of everything you do will rise.

8時間のシューティングをしたとしても、間違った方法でやっていれば、間違ったシューティングが上達するだけだ。基本を習得すれば、すべてのレベルが上達していく。

It won’t be done to do by half of feeling. Because a result is also half.

気持ち半分でやることなんて出来ない。結果も半分になってしまうからね。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

バスケットボールの神様は、改めてこうやって功績を並べてみると、
他の選手とはやはり桁が違うことがわかります。

神様が神様と呼ばれる所以がわかったのではないでしょうか。

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