スコッティ・ピッペンはどんな選手だった?生い立ちや選手の特徴を徹底解説。

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バスケに少しでも興味がある人であれば、必ず聞いたことのある選手の名前がマイケル・ジョーダンでしょう。
そして、そのマイケル・ジョーダンを語る上で欠かせない選手が、同じくシカゴブルズの黄金期を支えたスコッティ・ピッペンです。

世間的には、マイケル・ジョーダンの相棒であり、マイケル・ジョーダンがいたから輝けた選手だという見方と、逆にスコッティ・ピッぺンがいたからジョーダンが輝けたという2つの見方が存在するほど優れた選手ではありましたが、あまりにもジョーダンの人気とカリスマ性、そして在籍期間中の成績が凄かったために、ピッペンは過小評価されている選手である共言われています。

そこで今回は、スコッティ・ピッペンにスポットを当て、生い立ちや選手としての特徴、そして世間からの評価などをご紹介します。

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スコッティ・ピッペンとは?

画像出典:http://nbasokuho.blog.jp/archives/6317993.html

では、まずスコッティ・ピッぺンのプロフィールから見ていきましょう。

プロフィール

名    前:スコッティ・モーリス・ピッぺン(Scottie Maurice Pippen)
ニックネーム:Pip
身    長:203cm
ポジション :SF
誕 生 日 :1965年9月25日
出 身 地 :アメリカ合衆国アーカンソー州
所属チーム :シカゴブルズ(1987 -1998 2003-2004)、ヒューストンロケッツ(1998-1999)、ポートランドトレイルブレイザーズ(1999-2003) 、Torpan Pojat ※フィンランド(2008)、Sundsvall Dragons ※スウェーデン(2008)
NBAドラフト:5位(1987)

人物としての特徴

ピッペンは12人兄弟の末っ子として生まれ、幼少期から兄弟と共にバスケをプレイしていました。しかし、当時の家庭環境は、黒人の貧困家庭を絵に描いたような家庭であって裕福とは決して言えず、さらに働いていた父がピッペンの高校進学と同時期に倒れたため、そこからまともなご飯にありつくことすらなく、働いていました。

そのため、人物の特徴として、静かでありながらもハングリー精神がとても強く、意外にも我の強い人間であることが知られています。また、プレイヤーとしてのクレバーさとは違い、一般的な生活面での素行がそこまで良くなく、審判に向かって椅子を投げつけたり、監督の指示を無視して試合に出場しない、飲酒運転で逮捕されるなど、プレースタイルとは真逆の人間性を持っていると言っても過言ではない人物です。

選手としての特徴

スコッティ・ピッペンと言えば、史上最高のスモールフォワードの一人とも言われるほどの完成度を誇った選手でした。

選手としての特徴としては、オフェンス、ディフェンス共にNBAでも最高級のクオリティのプレイができ、サイズもあり、ウイングスパンも長く、ボールハンドリング能力も高かったため、オールラウンダーとして複数のポジションをこなすことができる選手であり、さらには戦術理解度が高かったため非常にクレバーな選手としても知られていました。

サイズと身体能力のおかげで、当時のNBAでは200を超える選手でここまで動ける選手は珍しかったため、ピッペンをディフェンスするのは難しかったと言えます。

全盛期は平均17〜20得点、平均6〜7リバウンド、平均5〜6アシストを残すオールラウンドさを披露していましたが、実はミドルレンジのショットがそこまで得意ではなく、多くの得点がリング近くであることに加え、フリースローも70%程度の成功率であり、3Pに関してはキャリア序盤は2割程度の成功率と、ジャンプショット全体的に唯一の弱点とも言えるところです。

スコッティ・ピッぺンが残した成績

 

では、スーパースターであるスコッティ・ピッペンが残した功績などをご紹介します。

NBAチャンピオン:1991-1993, 1996-1998(6回)
オールスター選出:1990, 1992-1997(7回)
オールスターMVP:1994
オールNBAチーム選出:1stチーム:1994-1996(3回)、2ndチーム:1992, 1997(2回)、3rdチーム:1993, 1998(2回)
オールNBAディフェンシブチーム:1stチーム:1992-1999(8回)、2ndチーム:1991, 2000(2回)
スティール王:1994-95
USAバスケットボール男子年間最優秀選手:1996
オリンピック:金メダル(1992,1996)
NBA50周年記念オールタイムチーム選出:1996
バスケットボール殿堂入り
:2010
永久欠番:シカゴブルズ(33番)、アーカンソー中央大学(33番)

オールNBAチーム、オールNBAディフェンシブチームに数多く選ばれていることからも、攻守に渡って評価されていた選手であることがわかると思います。ジョーダンの相棒として、過小評価されている選手とされてはいますが、この実績を見る限りでは、そこまで過小評価とは言えないのではないかと思えますね。

スコッティ・ピッペンの知られざる生い立ち

実は、ピッペンは大学に入学するまで、全くと言っていいほど注目された選手ではありませんでした。しかも、大学もNBA選手の多くが入学するNCAAに加盟している大学ではなく、NAIAに所属している大学に入学したのでした。その大きな理由はピッぺンの幼少期からの生い立ちにありました。

先述したように、ピッペンが生まれた頃の家族は、12人兄弟と大家族であり、当時の黒人はなかなか良い仕事に就くことができないなど多くの理由が重なり、典型的な貧困黒人家庭でありました。その上、父親が高校進学のタイミングで倒れてしまったために、兄弟総出で働かざるを得ないような状況になっており、しかもこの間に兄弟2人が病気で亡くなるなど、貧困だけではなく、精神的にも辛い状況が続き、その中で仕事と学業を両立しなければならない日々が続いていました。

アルバイトを続けていたはものの、やはり貧困であることには変わりなく、まともなご飯を食べることはできておらず、高校時代もバスケ部ではマネージャーやタオルボーイなどの役割をしており、レギュラーにはなれておらず、最終学年で初めてレギュラーになったのですが、当時の身体は175cm,70kg程度とアスリートとは言えないレベルのガリガリで、他の選手の親などから「なんであんな小さいやつをレギュラーにするのか」とコーチが質問を受けるほどの状態でした。しかし、この時にポイントガードとしてプレイしていたことが、のちの選手としてのプレーのクオリティを上げる結果となります。

高校を卒業したところで、レベルがそこまで高いチームかつガリガリで身長も高くないピッペンは、レベルの高いNCAAの大学からはオファーがなく、かろうじて、NAIAの大学に通常の入学という形で進学することができました。

この大学でも貧困状態であったピッペンは入学からしばらくの間は、マネージャーとしてチームに帯同していましたが、奨学金の枠に空きが生まれたために、そこにピッペンが選手として滑り込みました。

奨学金を手にした事で生活に余裕が生まれ、まともに食事を取れるようになったことから、ピッぺンの身体が急激に成長。大学2年生になるあたりで身長200cm,体重100kg近い体格になっており、ここから選手として一気に実力が開花。ガードのプレイができる、フォワードの体格の選手として頭角を現すも、マイナーなリーグの大学であったため、プロからは全く注目されていませんでした。しかし、大学のコーチがスカウトなどに呼びかけをしたことからシカゴ・ブルズのフロントに注目されるようになりました。

日本との繋がり

スコッティ・ピッペンは意外と日本との接点がありますので、そちらをご紹介させていただきます。

マツダのCMに出演

ピッペンがキャリアの全盛期であったタイミングで、その知名度を活かしたプロモーションを行おうと考えたマツダがCM出演を打診して、マツダ・デミオのCMへのピッペンの出演が実現。

しかし、CMが放映されているタイミングでピッペン自身が飲酒運転で逮捕されてしまい、短い期間で放映が注視されたCMとなりました。ちなみにこのマツダデミオは当時のマツダが業績を回復させるきっかけとなったモデルです。

甥が日本のプロリーグでプレイ

2020年現在の日本のプロバスケリーグと言えば、Bリーグですが、BリーグはbjリーグというプロリーグとNBLというプロリーグが合併して誕生したリーグです。

このbjリーグに、スコッティ・ピッぺンの甥であるウィリアム・ピッペンがプレイ。東京を本拠地にしていた「東京アパッチ」でプレイしていました。平均22得点、8.5リバウンドと活躍しましたが、当時のbjリーグが参加チームも少なかったために、すぐに移籍してしまいました。

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まとめ

いかがでしたでしょうか。

マイケル・ジョーダンの相棒であるスコッティ・ピッペンもまた、史上最高のフォワードの一人とされている、歴史上でも評価されている選手です。

もちろん、当時のシカゴブルズのチームでの契約の問題などは実力とかけ離れている部分があったことは否めませんが、評価自体は過小評価ではなかったと言えるでしょう。

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