NBAの歴史の中でも、記録だけではなく、鮮烈な記憶として歴史に名を刻んでいる選手がいます。
その1人がリック・バリーでしょう。
フリースローを下から投げていた選手がいたということ自体は、知っており、
その選手の名前が「リック・バリー」だというところまでは知っている方が多いのですが、
実は、リック・バリーはNBAの歴史を代表する名選手であったことも事実です。
そこで今回は、超特殊なフリースローのフォームで名を刻んでいるリック・バリーについて、ご紹介したいと思います。
リック・バリーのプロフィール
名前:リチャード・フランシス・デニス・バリー3世(Richard Francis Dennis Barry III)
誕生日:1944年3月28日
出身:アメリカ合衆国ニュージャージー州
ポジション:スモール・フォワード
身長:201cm
体重:93kg前後
所属チーム:サンフランシスコ・ウォリアーズ(1965-1967)、オークランド・オークス(1968-1969)、ワシントン・キャップス(1969-1970)、ニューヨーク・ネッツ(1970-1972)、ゴールデンステイト・ウォリアーズ(1972-1978)、ヒューストン・ロケッツ(1978-1980)
表彰等
NBA新人王(1966)
NBAオールスターゲーム出場×8 (1966–67,1973–78)
NBAオールスターゲームMVP (1967)
オールNBA1stチーム×5 (1966–67, 1974–76)
オールNBA2ndチーム(1973)
NBAシーズン得点王 (1967)
NBAシーズンスティール王 (1975)
NBAチャンピオン (1975)
NBAファイナルMVP (1975)
ABAチャンピオン (1969)
ABAオールスターゲーム出場×4 (1969–72)
オールABAチーム1stチーム(1969–1972)
NBA50周年記念オールタイムチーム(1996)
永久欠番 24番(ゴールデンステイト・ウォリアーズ)
バスケットボール殿堂(1987)
記録
通算記録は、ABA/NBA合算
出場:1,020試合
通算得点:25,279得点(平均24.8)
主なNBA記録
50得点以上達成最年少記録:57得点 (1965年12月14日 vs ニューヨーク・ニックス) 2005年レブロン・ジェームズが更新
1試合スリーポイントシュート成功数:8本 (1980年1月9日 vs ユタ・ジャズ) 1990年デールエリスが更新
キャリア通算フリースロー成功率:.900(NBA歴代3位)
シーズンフリースロー成功率: .947 (1978-79)1981年カルヴィン・マーフィーが更新
フリースロー連続成功数:60本 (1976)1981年カルヴィン・マーフィーが更新
プレーオフ1試合スティール:8 (1975年4月14日 vsシアトル・スーパーソニックス) 1999年アレン・アイバーソンが更新
NBAファイナル1シリーズ平均得点:40.8得点 (1967 vs フィラデルフィア・76ers)1993年マイケル・ジョーダンが更新
NBAファイナル通算平均得点:36.3得点(歴代1位)
NBAファイナル1試合フィールドゴール成功数:22本(1967年4月18日 vs フィラデルフィア・76ers) (歴代1位タイ)
ABA通算平均得点:30.5得点(歴代1位)
選手としての特徴
リック・バリーがバスケットボールを始めたのは幼少期のころであったとされており、セミプロチームのバスケットボール選手だった父の影響が大きかったとされています。
選手としては、優秀なシューターであることに加えて、非常に強気な性格であるために、積極的にリングにアタックすることで知られており、その姿勢から非常に多くのファウルを受け、フリースローを獲得することに長けていました。
プレイスタイルとしては、オフェンス時は常に得点を狙うスコアラーであり、ジャンプシュートとゴールにアタックした際のレイアップ、そして高確率のフリースローを武器としていました。
アシストやリバウンドも多数記録しましたが、実質は完全なスコアラータイプであり、ゴールハンターといった印象が強い選手です。また、ディフェンスも非常に上手く、スティールを連発する試合もあり、スティール王にも輝いた経歴があります。
身体がガッチリとしていたわけではありませんが、接触に弱いわけではなく、肉弾戦のような試合ももろともしないようなガツガツとしたプレイスタイルでした。
史上6人しかいないシーズン平均35点以上を記録して得点王になった選手であり、フリースローがキャリア通算で.900と、その突出した得点力がわかるかと思います。
また、ほとんどは更新されてしまいましたが、彼が現役であったタイミングでは多くのNBA記録を打ち立てた人物でもあり、史上屈指の選手であったといえます。
下手投げのフリースロー
リック・バリーを語る上でどうしても外せないのがフリースローでしょう。
ご存知の方も多いかと思いますが、リック・バリーはジャンプシュートのフォームとは違い、フリースローでは両手でボールを持って下からゴールに置きに行くようなフォームでボールを投げていました。
これが非常に高確率でありましたが、この後にこのようなフォームでフリースローを試みる選手が少ないために、伝説の選手でありながら、「独特のフリースローをする選手」として人々の記憶に残っています。
キャリア平均.900、最高シーズン平均.947などの記録からわかるように、非常に高確率でありましたが、このフォームでのフリースローはプロが始まってからではなく、高校生の時にはすでにこのフォームでフリースローを投じていたとされています。
ちなみに、このフォームはセミプロ選手だった父からの助言で始めたとされており、実はリック・バリーが始めたものではなく、父が現役選手として活躍していた時代には、複数名の選手がこのフォームで投じていましたが、リック・バリーほどの成功率ではなかったことや、時代背景によって映像や画像の記録がほとんどないことから、リック・バリーのフォームとして有名になっています。
人物としての特徴
人物としては、幼少期にバスケットボールと野球の両方で好成績を挙げながらも、厳しい父の教育を受けた影響で、完璧主義に近かったり、強気な性格です。(1つのミスで殴られることも多かったため)
野球では打率.500という好成績を残しながら、チームのベンチに座ることに憤りを覚えて、コーチを捕まえて戦ったりなど、子供ながらにして負けず嫌いであり、強気な性格であったことがわかります。
このベンチに座らされるのが嫌だったというエピソードの影響によって、幼少期に好きだった野球からバスケットボールの方に興味の強さが移り、史上最高のSFの1人と言われるバスケットボール選手が誕生しました。
高校・大学・プロキャリアと、逆境や否定されることが多かったリック・バリーはその負けず嫌いな性格によって、奮起して成績で周囲を見返していくという方法を取りました。
また、キャリアとして非常にユニークで、NBAでのキャリアからプロをスタートさせ、ABAに移籍、そしてNBAに戻ってくるというルートでプロキャリアを歩んでおり、これは複数チームとリーグを挟んだ契約に関する裁判の結果であり、どこのチームでも活躍できたバリーにとっても、非常に困難な内容であったと話しています。
引退後のNBAとの関わり
NBA引退後は、コーチとしてアマチュアチームなどを率いますが、コーチとしては、そこまで成功することはできませんでした。
しかし、自身の息子たち3人がNBA選手になっており、名選手のDNAが偉大であることを証明しています。
また、フリースローが苦手なことで有名なシャキール・オニールに対して、自身のフォームでのフリースローを教え込もうとしたところシャックから「かっこ悪いから嫌だ」と断られたという逸話を残しています。
最後に
いかがでしたでしょうか。
日本では、スラムダンクの影響からか、
リック・バリーは変なフォームでフリースローを投げていたおもしろおじさんとして認識されがちですが、
実はフリースロー以外の面を含めても非常に優秀な偉大な選手であったことがわかるかと思います。
実は2000年以降も、リック・バリーと同じように下から投げるフォームでフリースローを行う選手は、
少しずつおりますが、バリーほどの成功率は出せていません。
今後も、変なフォームのおじさんとして認識されてしまうかもしれませんが、
成績だけ見てもレジェンドであるということは忘れないようにしましょう。
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