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エルジンベイラーは史上最高のSF?特徴やエピソードを徹底解説

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バスケットボールの最高峰NBA。その歴史を紐解いていくと、
必ず名選手として名前が挙がる選手に、エルジン・ベイラーがいます。

しかし、1960年代と非常に前の時代であるが故に、どんなプレイヤーだったかあまり知られていません。
そこで今回は、NBAの歴史上最高のSFの1人と称されるエルジン・ベイラーのプレイヤーとしての特徴や、エピソードなどをご紹介します。

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エルジン・ベイラーのプロフィール

エルジンベイラー

名前:エルジン・ガイ・ベイラー(Elgin Gay Baylor)
ニックネーム:ビル
誕生日:1934年9月16日
出身:アメリカ合衆国ワシントンD.C.
ポジション:スモール・フォワード
身長:196cm
体重:102kg前後
所属チーム:ミネアポリス・レイカーズ(1958-60)、ロサンゼルス・レイカーズ(1960-71)

表彰等

新人王(1959)
NBAオールスターゲーム出場×11(1959-65,67-70)
NBAオールスターゲームMVP(1959)
オールNBA1stチーム×10(1959-65,67-69)
NBA35周年オールタイムチーム (1980)
NBA50周年記念オールタイムチーム (1996)
永久欠番 22番(ロサンゼルス・レイカーズ)
バスケットボール殿堂(1977)

記録

NBAシーズン出場:846試合
通算得点:23,149点(通算平均27.4点 / NBA歴代4位)
通算リバウンド数:11,463リバウンド(通算平均13.5リバウンド / NBA歴代9位 /レイカーズフランチャイズ記録)
通算アシスト数:3,650
NBAファイナル1試合最高得点:61点(歴代1位)
1試合最高得点:71得点(歴代8位)

選手としての特徴

elgin baylor画像出典:https://b-pocket.org/basketball/blog/938/

ベイラーがバスケットボールを始めたのは、10代の頃で、初期の段階から圧倒的な成績を残します。

フェルプス高校に入学し、1年生で平均18.5得点、2年生で平均27.6得点という成績でシーズンを終えるも、
学業面での問題からフェルプス高校を中退し、新設されたピンガーン高校に編入し、
黒人としては初めてオール・メトロポリタンチームに選出される活躍を果たしました。

シアトル大に入学し、チームをNCAAトーナメント決勝まで導き、優勝は逃したもののMVPを獲得
ドラフト全体1位指名でミネアポリス・レイカーズに入団。平均得点27.4得点、平均リバウンド13.5、平均アシスト4.3とオールラウンドな活躍をし、8回のNBAファイナルをチームにもたらしながらも、チャンピオンリングを勝ち取ることはできませんでした

エルジン・ベイラーのプレイの特徴としては、

がっしりした体格と類稀なる身体能力を活かし、空中で他の選手をかわすなど、当時のバスケットボール選手のセットシュートとフックシュートを多用し、リバウンドをとってドリブルでゴールに近づくというルーティンのような競技の常識を覆しました。当時はあまり使う選手がいなかったダンクシュートも多用し、一部のビッグマンだけの領域であった「リングの上」も196cmながら自分の領域とした選手でした。

「1000のムーブを持つ」と表現されるほど、当時の常識外れの動きを見せ、引退後「エルジン・ベイラーがいなければ、ジュリアス・アービング(ドクターJ)やマイケル・ジョーダンは現れなかっただろう」と言われるほど、現代バスケットボールのSGやSF像に大きな影響を与えたプレイヤーでした。

がっしりとした体格を活かし、史上最高のセンターと名高いビル・ラッセルに相手にポストアップをし、196cmながらシーズン平均19.6リバウンド残すなど、「オールラウンダー」というバスケットボール選手のスタイルの礎になった選手でもあります。

人物としての特徴

1934年、ワシントンD.C.の貧しいアフリカ系アメリカ人の家庭に生まれ落ちた当時、人種差別政策である人種隔離政策が発令されていた時代であり、公共の場所への黒人立ち入りが厳しく制限されていたため、ベイラーが初めてバスケットボールをプレイしたのは10代の頃でした。

先述したように、高校時代から輝かしいバスケットボール選手としての成績を残した一方で、
学業は非常に課題があり、高校を中退せざるを得ないような状況でした。

高校編入までの間も働きながら勉強をしてやっと編入が可能になるほど厳しい時代を送っており、
高校を卒業して大学入学を狙うも、学業の不振によって強豪大学からのオファーはゼロ

無名校であった、アイダホ大から奨学金を獲得。アイダホ大に入学してプレイし、選手として良い成績を残しますが、アイダホ大がスポーツ選手への奨学金の縮小を発表し、バスケットボールチームのコーチを解任したことの煽りを受けて、ベイラーもアイダホ大を中退。

AAU(アマチュア協会)のチームに所属してプレイしていたところ、シアトル大の目に留まり、編入が確定して、超格上チームでのプレイの機会を得て、大学スーパースターになるという、波乱万丈な学生生活を送っていました。

NBAに入った後も、時代背景もあり多くの人種差別に苦しんだのがベイラーでした。

チームメイトの故郷である、チャールストンという街を訪れてエキシビジョンゲームをする際、黒人であるという理由でホテルへの宿泊とレストランでの食事をチームメイト2人と共に拒否されたエピソードがあります。その際、その街が故郷であるチームメイトが謝罪しましたが、ベイラーは「君は友人である。しかし、私も人間なんだ。人間らしい扱いをされたいだけなんだ。」と答え、エキシビジョンゲームへの出場を拒否しました。

チャールストン市長からも謝罪されたベイラーは、数年後に同市で行われたNBAオールスターゲームに出場し、自分を拒否したホテルに泊まり、レストランで食事をしたと記録されています。

引退後、ロサンゼルス・クリッパーズのゼネラルマネージャーとして就任しますが、在職中に差別的な扱いを受け、自身の解任も人種的な差別があったとしてクリッパーズのオーナーを訴えたというエピソードもあります。

エルジン・ベイラーの呪いと戦績

エルジン・ベイラーはプレイヤーとして、「史上最高のSF」と呼ばれていながらも、
「1度も優勝したことのないスーパースター」として有名です。

これは、“エルジン・ベイラーの呪い”と言われています。それを少しご紹介します。

  • シアトル大:NCAAトーナメント決勝に進出するが、優勝できず。
  • ロサンゼルス・レイカーズ:9回NBAファイナルに進出するも、優勝できず。(ベイラーが引退を発表した直後、チームが33連勝し、NBA制覇)
  • ニューオリンズ・ジャズ:引退後にヘッドコーチに就任。3シーズン指揮を取るもプレーオフ出場ならず。(通算86勝135敗)
  • ロサンゼルス・クリッパーズ:GMとして22シーズン活動。4回プレーオフに進出するが、プレーオフ1回戦を突破した2006年シーズン以外は、負け越している。

以上のように、エルジン・ベイラーはスーパースターであり、誰もが認めるような「史上最高のSF」でありながら、優勝とは縁遠いのです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

エルジン・ベイラーは名実共にスーパースターであり、「史上最高のSFの1人」ではありますが、学業で進学ができない、優勝経験がないなど、他のスター選手とは違った経歴を持っています。
超名門チームのレジェンドでありながら、優勝に縁遠かった選手で、現在のSG/SF像の原点に近い選手であることを覚えておくと、
今後彼の名前を聞いたときに、もっとバスケットボールという競技の歴史を楽しむことができるでしょう。

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