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マジック・ジョンソンの伝説と逸話

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世界最高・歴代最高のバスケットボール選手は誰か?という問いは常にバスケットボールファンの間で話題になりますが、マイケル・ジョーダン、レブロン・ジェームズなどと並び、しばしば名前が挙がるのが「マジック・ジョンソン」です。

今回は、そんなマジック・ジョンソンがどのような伝説を残し、どういったプレイヤーだったのか、記録や逸話などを含めて解説します。

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マジック・ジョンソンのプロフィール

マジックジョンソン
出典:https://lampu-blog.com/magic-johnson-quotableline

プロフィール

本   名:アービン・ジョンソン・ジュニア(Earvin “Magic” Johnson Jr.)
身   長:206cm
ポジション:PG
誕 生 日:1959年8月14日
出 身 地:アメリカ合衆国ミシガン州
所属チーム:ロサンゼルス・レイカーズ(1979-91.1996)
NBAドラフト:1位(1979)

記録やスタッツ

受賞歴

NBAチャンピオン×5(1980,1982,1985,1987,1988)
シーズンMVP×3(1987, 1989, 1990)
ファイナルMVP×3(1980, 1982, 198)
オールNBA1stチーム×9(1983-1991)
オールNBA2ndチーム×1(1982)
オールルーキー1stチーム(1980)
オールスター出場×12(1980, 1982-1992)
アシスト王×4(1983, 1984, 1986, 1987)
スティール王×2(1981, 1982)
NBA50周年記念オールタイムチーム
NBA75周年記念チーム
オリンピックメダル(1992)
NBA生涯功労賞(2019)
NCAAチャンピオン(1979)
殿堂入り:2002

NBA通算記録

通算得点:17,707点
通算リバウンド:6,559
通算アシスト:10,141
通算出場試合:906
1試合平均アシスト:11.2(歴代1位)

※順位は2023年10月現在

マジック・ジョンソンのプレースタイル

マジック・ジョンソンは206cmと超大型のPGとして知られ、特にファスト・ブレイクなどのランニングプレイを好んでいたことで有名です。パスの名手として知られ、どこに出てくるかわからないノールック・パスは彼の代名詞となっています。

ただ、PGだけでなく恵まれた体躯を生かしてPFやCとしてもプレイした経験があり、いわゆるポジションレス選手の先駆けともいえます。現代でいえばレブロン・ジェームズのプレイスタイルに似ている点が多いですが、マジックはキャリアを通して中距離よりも遠いショットを不得意としていました。

ちなみにバスケットボール漫画の金字塔スラムダンクの海南高校「牧」のモデルになったといわれています。

マジック・ジョンソンの選手としての歴史と実績

マジック・ジョンソンがバスケットボール選手として辿った偉大な歴史と実績をご紹介します。

マジック・ジョンソンの誕生

アービン・ジョンソンは、小さなころからバスケットボールに打ち込み、中学の頃から周囲より頭一つ分大きな選手として、頭角を現していました。そして、アービン・ジョンソン少年の一つの目標は、地元の競合セクストン高校に入り、スター選手になるというもので、その目標がすぐ叶うレベルに達していました。

しかし、”理不尽な人種差別をなくすための制度”がミシガン州にできたことから、逆にセクストン高校への入学がかなわず、白人が多いエベレット高校に入学することに。

エベレット高校に入学直後から大暴れし、1年生ながら「36得点・18リバウンド・16アシスト」というスタッツを叩き出した試合をみた地元新聞の記者が「マジック」というニックネームを新聞に掲載。これによって、「マジック・ジョンソン」が誕生し、このあと”マジック”がほぼ本名になります。

また、高校で出会ったコーチが、チーム最長身選手でありながら、マジックの適正ポジションがPGであることを見抜き、高校時代からPGとしてプレーすることが非常に多くなります。

結果的に、高校ではマジックを誰も止めることができず、シーズンで1敗しかしないまま高校4年生のタイミングでミシガン州を制し、鳴物入りでNCAAの舞台に突入することになります。

大学のスーパースター

マジックジョンソン
(C)Getty Images

高校時代にすでにスター選手であったマジックには、全米の大学からオファーが殺到。その中から、地元でよく練習に参加させてもらっていたミシガン州立大学に入学を決意。

それまでそこまで強豪と呼べるほどのレベルではなかったミシガン州立大学を一気に常勝チームへと押し上げ、2年時にはNCAAトーナメント決勝までたどり着きます。そして、そこに待っていたのはそれまで無名だったインディアナ州立大学。あの、ラリーバードが率いて一気にNCAAトーナメント決勝まで勝ち上がってきたチームでした。

この2チームの決勝戦はNCAAトーナメント決勝の歴代1位の視聴率を叩き出すほど、話題になり、ラリーバード対策を行なったマジック率いる、ミシガン州立大学が優勝。この優勝でマジックは大学に別れを告げ、NBA入りを表明し、ラリーバードとの熾烈なライバル争いの舞台はNBAに移されることになります。

圧倒的な実績で勝ち続ける名門の中心選手

実はドラフト当時、前例のない長身PGだったことやシュートがあまり得意ではないことからレイカーズ首脳陣には不評でしたが、オーナーになっていたジェリー・バスがパワープレイによって、1位指名を決断。

すると1年目からオールスターに先発出場するほどの活躍で超名門を常勝軍団へと押し上げ、プレーオフでも圧倒的なプレーでNBAファイナルにたどり着きます。しかし、大手をかけていたタイミングで、レイカーズの大黒柱ジャバーが足を負傷しその後の試合を欠場。

そこでマジックジョンソンをPGからCに起用する奇策を行ったところ、マジックが大一番で42得点、15リバウンド、7アシストの大活躍をしてNBAチャンピオンに到達。これにより、NBA史上唯一のルーキーのNBAファイナルMVP受賞となり、一気に全米の大スターに。

コーチとの確執がありながらも、コーチがパット・ライリーに変わったあたりから、現在の「マジック・ジョンソン」や「ショータイム・レイカーズ」のスタイルがチームに定着。

1983-84,84-85シーズン,86-87シーズンと大学時代のライバルであったラリー・バード率いるボストン・セルティクスと立て続けにNBAファイナルで対戦。ライバルとの死闘の中でもマジックは2度のNBAチャンピオンをチームにもたらしています。

HIVによる突然の引退と劇的なカムバック

マジック・ジョンソンを伝説にした一つのエピソードとして外せないのが、HIV感染の発表と突然の引退です。

1980年代では圧倒的な実力と実績でバスケットボール界を席巻していたマジックでしたが、チームの中核メンバーの年齢が上がっていたことや大黒柱ジャバーの引退、コーチの変更によって徐々に常勝軍団レイカーズに翳りが見え始めていました。

また、マジック・バードのライバル争いをしていたところから、超スーパースターであるマイケル・ジョーダンの登場によって時代は”神”の時代へとバトンが渡されるタイミングとなっており、1990-91シーズンではNBAファイナルでジョーダン率いるブルズに敗れていました。

そして、91-92シーズンの開幕直後、マジック・ジョンソンはHIV感染を公表。人気実力共に絶頂の時代にマジック・ジョンソンは突然引退を発表することになり、バスケットボール界全体に非常に大きなニュースとなりました。

しかし、マジックの人気は凄まじく、91-92シーズンは1試合も出場していないにも関わらずオールスターで最多得票を獲得し、オールスターゲームへの出場を決断。得点とアシストで両チーム最多を記録しオールスターMVPを獲得。

また、HIV感染後の健康状態は良好でプレーをしても問題がないことが判明し、オリンピックのドリームチームでプレーし、ブランクがあるにも関わらず金メダルをアメリカにもたらしました。

引退

劇的なカムバックで、オリンピックの金メダルやオールスターMVPを獲得したマジックでしたが、本人はHIV感染をもろともしなくとも、揺らいでいたのは周りの視線でした。

当時はHIVやエイズに関しての知識があまり浸透しておらず、マジックと「接触することで感染するのでは?」という批判や疑問、冷たい視線を感じることが多く、マジックは本格的な復帰を諦めることとなります。

HIVへの理解が深まり、1995-96シーズンには5年ほどのブランクがありながら復帰しスタッツとしても問題ないものを残すもチームを勝利に導くことは難しく、本当の引退を決断。

マジック・ジョンソンが遺したもの

マジック・ジョンソンがバスケットボール界や世界に遺したものとして大きなものが3つあります。

ポジションレス選手・大型ガードの常識

マジック・ジョンソン以前は、基本的に大きな選手はインサイド、小さな選手はアウトサイドというように、身長によってポジションが分けられているのが普通で、しかもそれぞれのプレイヤーやポジションの役割はほぼ固定されていました。

しかし、マジックジョンソンが大活躍したことで、大型選手でも適性があればアウトサイドでプレーさせるという流れができ、PGでありながらCでプレーした経験などからポジションレスな選手の登場に拍車をかけることとなりました。

ノールックパスの標準スキル化

マジックといえば、どこに出すかわからないノールックパスが代名詞です。パスは受け手も必要なため、チーム状況にもよりますが、マジックがあまりにもノールックパスで観客を沸かせたため、世界中の選手が彼のプレーを真似し、”ノールックパス”というスキルがほぼ全選手の標準スキルとなりました。

もちろん、それまでにもノールックパスをやっていた選手は多くいましたが、マジックほど世界中に強烈な印象を植えつけた選手はいません。

HIV・エイズへの啓蒙

皮肉なことですが、NBAの超スーパースターのマジックがHIV感染を公表した会見は世界的に報道され、HIVへの意識・関心を全世界で高めるきっかけとなりました。

当時は、HIVは「触れただけで感染する」や「同性愛者同士でしか感染しない」などと間違った知識や噂が広まりましたが、マジックがHIV感染を公表後に一気に正しい知識が広まるようになりました。

また、HIV感染者がプロスポーツに復帰するのは世界でマジックが初めてだったことから、、スポーツの止血の際に血液のついたものの処理の仕方などの徹底が各スポーツで見直されるきっかけにもなりました。

マジック・ジョンソンの名言

マジック・ジョンソンが残した名言をいくつか紹介します。

人生では勝つ事も負ける事もある。僕にとって一番許せないのはやめてしまう事だ。

コートに入ったら「俺」ではなく「俺たち」と考えるようにしている。

君が現状を変えられる唯一の人間だ。君の夢が何であれ、それを追いなさい。

得点は一人の選手をハッピーにし、アシストは二人の選手をハッピーにする。

チームメイトが自分のために何ができるかを聞くのじゃなく、自分がチームメイトのために何ができるかを聞くんだ。

君は、マジック・ジョンソンになる必要も他の特別な存在になる必要もない。君はすでに特別な存在だ。君は君だ。

自分が送れた”はず”の人生ではなく、自分が送った人生をただ喜ぼう。

まとめ

NBAで5度チャンピオンになり、オリンピックでも金メダルを取ったバスケットボール界のスーパースターマジック・ジョンソンについて紹介しました。

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