【幻の日本人NBA選手】岡山恭崇はどんな選手だった?現在は何してる?経歴や現在までをご紹介 | バスケ初心者用メディア【ブザビ】

【幻の日本人NBA選手】岡山恭崇はどんな選手だった?現在は何してる?経歴や現在までをご紹介

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豆知識
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日本人初のNBAドラフトで1巡目指名を受けて、ワシントン・ウィザーズ入りした八村塁選手。
そのニュースが出る中で、再注目されたのが、日本人で初めてNBAドラフト指名を受けた岡山恭崇選手

しかし、岡山恭崇氏は30年前に引退した選手であるため、情報が少なく、ニュースでもデータが出てきませんでした。そこで今回は、バスケットボール専門メディアであるブザビが、岡山恭崇氏の過去から現在までを徹底的に調査して、ご紹介します。

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岡山恭崇氏のプロフィール

ではまず、岡山氏のプロフィールから見ていきましょう。

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氏 名  : 岡山 恭崇 (おかやま やすたか)
出身地  : 熊本県上益城郡益城町
生年月日 : 1954年11月29日(2020年4月現在65歳)
身 長  : 230cm(現役時) ※現在は227cm
体 重  : 138kg (現役時)
ポジション: センター
最終学歴 : 大阪商業大学
現役時所属チーム: 住友金属(1979年〜1990年)

230cmという身長は間違いではなく、小学校卒業時点で180cmを超え、高校時点で200cmを超えたにも関わらず、身長が伸び続け、230cmという身長になりました。

元々、中高の段階ではバスケットボールという競技には出会っておらず、柔道の選手をしていました。柔道家としてもその大きな体は魅力だったため、多くの大学からの推薦があったそうですが、大阪商業大学のバスケットボール部監督の人柄や熱心な勧誘に惹かれ、大学生からバスケットボールという新たな競技に出会いました。

バスケットボールとの出会いと挫折

大学に入学してから、バスケットボールという競技に初めて触れた岡山氏でしたが、その日本人離れした圧倒的なサイズと柔道で鍛えたパワーによって、ゴール下を支配。

徹底的な走り込みと基礎練習を重ねた結果、日本を代表するセンタープレイヤーへと成長。
大学時代には、1年間アメリカのポートランド大学にバスケットボール留学するなど、日本からもアメリカからも注目された存在となりましたが、アメリカではそこまで活躍することはできず、大きな収穫はなく、日本に帰国するという結果に終わってしまいました。

一応、ポートランド大学のチームからは、1軍で登録するからもう1年プレーしないかというオファーをもらってはいましたが、アメリカ留学をしていた時に、医師から「先端巨大症」の診断をされ、ドクターストップという形でアメリカ留学は終わったのです。

日本代表入りと実業団入りそしてNBAドラフトへ

岡山恭崇

画像出典:http://nba-lover.work/2019/06/20/1981%E5%B9%B4%E3%81%AB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E5%88%9Dnba%E3%81%A7%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88%E6%8C%87%E5%90%8D%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%80%8C%E5%B2%A1/

しかし、日本に帰国したあとは、その圧倒的なサイズで注目され、実業団(当時の国内トップリーグ)の住友金属に入団。

1年目からリバウンド王や新人王を獲得するなど、目覚ましい活躍を見せました。

1979年に住友金属に入団しますが、1981年に突然アメリカで脚光を浴びることになります。
1981年に実施された、NBAドラフトで、8巡目全体171位で指名を受けたのです。

2020年現在のNBAドラフトでは、このような順位は存在しないのですが、当時のバスケットボール界はNBA以外のリーグのレベルが低かったことから、ほとんどの選手がドラフトでNBA入りしていたため、これほどの順位になりました。しかし、岡山氏としては寝耳に水でした。NBAのチームと話をしたことはありませんでしたし、ドラフトで指名するというのも全く聞いておらず、「勝手に指名された」のでした。

この頃から、岡山氏は8年間に渡り日本代表の一員としても活動していました。

世界でも圧倒的な高さを武器に日本代表として戦いましたが、チームとしては、目立った成績は残せずにいました。しかし、オリンピックへの出場の希望があったことから、日本代表としてのオリンピック出場を大きな目標として活動していました。

当時のNBA選手はオリンピックへの出場は認めておらず、NBAの実情も2020年現在のNBAほど日本では知られていなかったため、「オリンピックに出場したい岡山氏の気持ち」と「トップ選手を失いたくない日本代表チーム並びに住友金属」という2つの理由においてNBA入りはなくなったのでした。

岡山恭崇氏の現在

2020年現在の岡山氏は、実は現在存命中の日本人の中で最長身の人として認定されています。
また、バスケットボール選手として長年プレーをした住友金属に30年以上勤務していましたが、2010年に退社し、現在は千葉県を本社に置く、「関根床用鋼板」という会社の営業の社員として活躍しているそうです。

会社のホームページでは、「営業全般を管掌している」と書かれていますので、役職がついていることが想像できます。

その身体の大きさから、SNSなどでも目撃情報が多く見られますが、先端巨大症(や巨人症)などの方に多いのですが、筋肉が身体の大きさに追いついていないことから、現在は相当足腰に負担がかかっているという情報もあり健康面で心配なところです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
岡山氏は紛れもなく、日本で初めてNBAドラフトで指名された選手でしたが、
輝かしい経歴を持ちながらも、NBAドラフト自体はそれほど喜ばれたものではなかったのがおわかりいただけたかと思います。
八村選手や渡邊選手に続く日本人NBAプレーヤーが誕生する度に、岡山氏は脚光を浴びることでしょう。

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