【NBAと契約した日本人は実は5人!?】NBA選手となった選手とNBAと日本人情報を徹底紹介! | バスケ初心者用メディア【ブザビ】

【NBAと契約した日本人は実は5人!?】NBA選手となった選手とNBAと日本人情報を徹底紹介!

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【NBAと契約した日本人は実は5人!?】NBA選手となった選手とNBAと日本人情報を徹底紹介! NBA
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2020年現在、八村選手が大活躍をしており、NBAの情報も日本のテレビ番組で多く取り上げられるようになってきました。八村選手は、NBAドラフトで日本人初めて1巡目指名を受けて、ワシントン・ウィザーズに入団したことでも話題になりましたが、今回は、日本人とNBAの関係と、歴代の日本人NBA選手、そして幻の日本人NBA選手をご紹介します。

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NBAの公式戦でプレーした歴代選手3人

2023年現在、NBAの公式戦でプレーをしたことのある日本人選手は3人います。その歴代3人をご紹介します。

田臥勇太

田臥勇太

画像出典:https://basketballking.jp/news/japan/b1/20220722/383787.html

生年月日 1980年10月5日
身長 173cm
足のサイズ 29cm
ポジション PG

日本人初のNBAプレーヤーとなったのが、田臥勇太選手です。

神奈川県出身で中学生の頃から、全国大会に出場していましたが、より高みを目指すため、スラムダンクの山王工業高校のモデルとなった、秋田県の能代工業高校に進学しました。
高校ではインターハイ、国体、ウインターカップと1年で3つの全国大会はありますが、田臥選手は1年生の頃から実際に選手として出場し、高校3年間で全国9冠。つまり、全国大会全てで優勝を成し遂げるという前人未到の成績を残しました

大学はハワイに留学してアメリカのバスケに触れましたが卒業後日本に帰国して、トヨタ自動車アルバルク(現Bリーグ:アルバルク東京)と契約を結びました。その後、再度NBA,アメリカ挑戦を続けるために、渡米しABAというアメリカの独立リーグのチームで選手として活動しました。

活動を続け、サマーリーグでデンバーナゲッツのチームでプレーするなど着実にステップアップし、2004年にフェニックスサンズと契約を結び、晴れて日本人初のNBA選手の誕生となりました。

プレースタイルは、プレイメイク力と類まれなパスセンスを武器に、チームのプレーの質を上げるような動きをする選手です。NBAでは合計17分と、あまり爪痕は残せませんでしたが、日本人の歴史として圧倒的に濃い1歩を記録した選手となりました。

2004年9月に開幕し、12月に解雇されてしまった後、あまり知られてはいませんが、2005年のシーズン開幕前にロサンゼルス・クリッパーズと契約しました。しかし開幕前に解雇され、その後NBADリーグ(現:Gリーグ)と複数のNBAチームのサマーリーグのメンバーとしてプレーしましたが、NBAの本契約を勝ち取ることはできず、日本に帰国し、リンク栃木ブレックス(現:宇都宮ブレックス)と契約し、現在に至ります。

渡邊雄太

渡邊雄太

画像出典:https://www.sportingnews.com/us/nba/news/yuta-watanabe-hamstring-injury-timeline-return-date-latest-updates-nets/dokre65rzvsrxvcv5lhxqhkz

生年月日 1994年10月13日
身長 206cm
足のサイズ 31cm
ポジション SG / SF

日本人2人目のNBAプレーヤーとなったのが、渡邊雄太選手です。

田臥選手がNBA入りしたのを小学生の時にテレビで見ていた世代であり、両親ともプロバスケ選手、特にお母さまは日本代表のエースプレイヤーというサラブレットとして、小学1年生からバスケを始め、香川県で育ちました。

中学生の頃までは、そこまで身長は大きくありませんでしたが、中学3年生から高校1年生のタイミングから急激に身長が伸びたことで、日本人としてはビッグマンのサイズがありながら、ガードのスキルを持った選手として、シューティングガードからスモールフォワードをこなします。

高校時代にウインターカップ2年連続で準優勝という輝かしい成績を残すと、田臥選手後押しもあり単身渡米し、NCAAディビジョン1のジョージ・ワシントン大学に進学し、主力として活躍。4年生の時には、A10カンファレンスの最優秀守備選手に選ばれるなど、爪痕を残しました。

ドラフト指名も期待されていましたが、指名はなく、ブルックリン・ネッツの一員としてサマーリーグに出場。そこで活躍し、メンフィス・グリズリーズと2way契約(NBAトップチームに一定日数のみ在籍が認められる、Gリーグチームとの2チーム1選手間契約)を締結し、日本人2人目のNBA選手となりました。

プレースタイルは、長い腕と判断の速さを生かしたディフェンスと、サイズがありながらスキルのある選手としてのシュート力とハンドリング力が武器です。いわゆる3&Dというディフェンスとシュートを売りにした選手として見られることが多いです。

2020-21シーズンは、トロント・ラプターズと(エキシビット10契約から)2way契約を締結し、NBA3年目に突入しました。

追記
日本時間2021年4月19日に、2way契約から本契約に切り替える旨が発表され、晴れて日本人3人目のNBA本契約選手となりました
。また、日本人で初めてエキシビット10、2way、本契約を経験した選手にもなりました。
2022-23シーズンは、無保証から這い上がり、ブルックリン・ネッツと本契約。クラッチタイムに大きな仕事を果たし、インパクトを残して5シーズン目を終えました。その後、前シーズンに共闘したケビン・デュラントからの勧誘もあり、フェニックスサンズへ。シーズン中のトレードによって、NBA選手となった古巣メンフィス・グリズリーズにてプレイしています。
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八村塁

八村塁

画像出典:https://www.japantimes.co.jp/sports/2023/04/29/basketball/nba/rui-hachimura-lakers-second-round/

生年月日 1998年2月8日
身長 204cm
足のサイズ 34cm
ポジション SF / PF

日本人初のNBAドラフト1巡目指名選手となり、3人目のNBAプレーヤーとなったのが八村塁選手です。

ベナン人の父と日本人の母を持つ八村選手は、バスケを始めたのは中学生からと、田臥選手や渡邊選手と比べると圧倒的に遅いタイミングでバスケを始めました

小学生の頃まで陸上と野球をしておりましたが、身体能力が圧倒的に高く、100m走では全国大会に出場し、野球では投げる球が速すぎて誰も取れず、ピッチャーをできなくなって、キャッチャーとなって牽制や盗塁阻止のために投げた球も誰も取れなかったため、野球をやめたという話は有名な話となりました。

当時から身体が大きかった八村選手は、中学校のバスケ部の監督に声をかけられて、バスケを始めることになります。ここから持ち前の吸収力で一気に上達し、全国大会準優勝を果たします。そのまま、宮城県の名門明成高校に進学し、名将のもとで実力をつけていき、ウインターカップ3連覇という実績を残します。

ここから、NCAAディビジョン1のゴンザガ大学に進学。1年生の頃からベンチ入りしますが、あまりプレイタイムはもらえませんでした。しかし、チームは全米準優勝まで勝ち進み、日本人で誰も見たことのない景色をこの頃から見ていました。3年生の時には一時全米ランキング1位になったチームのエースとして活躍し、NBAドラフトで1巡目9位でワシントン・ウィザーズに指名され、NBAプレイヤーとなりました。

NBA4シーズン目となる2022-23シーズンには、日本人選手で初めてNBAでトレードされ、超名門のロサンゼルス・レイカーズに加入。特にプレーオフで大きなインパクトを残し、レイカーズとの再契約が噂されています。

幻の日本人NBA選手

実際にはNBAでプレーすることはありませんでしたが、実は惜しかったという選手が歴代で2人いるのをご存知でしょうか。ここからは、NBA入団がとても惜しかった2選手のご紹介をします。

岡山恭崇

岡山恭崇

生年月日 1954年11月29日
身長 230cm
足のサイズ 37cm
ポジション C

日本人で初めてNBAドラフトで指名された選手です。

そう、八村選手は日本人初めてNBAドラフトで指名されたわけではないのです。

岡山選手は、なんと大学からバスケを始めた選手です。身長が230cmですが、高校までは柔道の選手として活躍。しかし、その身長を最大限に活かすのはバスケであると、大阪商業大学の監督に口説かれ、入学。

日本人離れしたそのサイズのインサイドプレーを誰も止めることはできず、バスケを初めてわずか4年後には住友金属工業に入団し、日本リーグのリバウンド王と新人王を獲得。日本代表としても活躍していました。

活躍している最中の1981年、NBAドラフト8巡目10位で、ゴールデンステート・ウォリアーズから指名を受けました。(当時は現在のドラフト制度と違い、2巡目で終わりませんでした)

結果的には、入団しないのですが、その理由が

  • 住友金属工業が中心選手を引き抜かれるのを嫌がった
  • 当時はNBAの情報が少なくよくわからないリーグだった
  • 本人がオリンピックに出たかった(当時はNBA選手はオリンピック出場禁止でした)

と言われています。ちなみに、2020年現在、存命中の日本人としては最長身の人でもあります。

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富樫勇樹

富樫勇樹

画像出典:https://www.bleague.jp

生年月日 1993年7月30日
身長 167cm
足のサイズ 27cm
ポジション PG

実は、日本人2人目のNBAチームとの契約を果たしたのが冨樫選手です。

バスケの世界では圧倒的に小柄ながら、運動量とスピード、ハンドリング技術と得点能力を武器に、プレイする選手ですが、本丸中学時代に全国優勝を果たしており、高校からアメリカ挑戦をしました。

高校3年間は精神的にとても辛かったと本人も話しており、チームの中心選手として活躍する側、言葉や文化の問題、そしてホームシックに近い状態に悩まされていたそうです。高校では活躍していましたが、希望のランクの大学から声がかからず、NBAに挑戦するために、一旦日本に帰国し、秋田ノーザンハピネッツと契約しました。(当時は高校から直接NBA入りすることができないルールがありました)

秋田で活躍し、再度NBAに挑戦するために渡米。

2014年にダラス・マーベリックスの一員としてサマーリーグに参加し、活躍を認められてダラス・マーベリックスとNBAの選手契約を結びますが、開幕前に解雇され、下部チームのテキサス・レジェンズでプレイすることとなりました。

しかし、そのあとすぐに日本に帰国し、千葉ジェッツの中心選手として活躍し、日本人Bリーガー初の1億円プレイヤーとなりました。

日本国籍となった元NBA選手

ここまでは、日本生まれ日本育ちのNBAプレイヤーやNBAプレイヤーになりそうだった選手のご紹介をしましたが、実は他国育ちで「日本人」になっている選手の中に、元NBA選手がいますので、ご紹介させていただきます。

桜木ジェイアール

桜木ジェイアール

画像出典:https://the-ans.jp/column/120344/

生年月日 1976年10月30日
身長 203cm
足のサイズ 35cm
ポジション PF

旧名:ジェイアール・ヘンダーソンは、現在シーホース三河でプレイしているアメリカ出身のBリーガーです。

NCAA界の超名門であるUCLA出身で、NCAAトーナメント優勝も果たしている選手で、1998年のNBAドラフトの2巡目で指名を受けてバンクーバー・グリズリーズでプレイをしました。

その後数カ国でプレイをする中で日本に辿り着き、チームの中心選手となり、2007年に日本国籍を取得して、日本代表選手となりました。ちなみに、NBA経験のある選手が日本代表になるのは、桜木ジェイアール選手が初のことです。ちなみに、「桜木」という名前は、桜の木は日本の象徴だからということで、スラムダンクの桜木花道とは関係はないそうです。

ニック・ファジーカス

ニック・ファジーカス

画像出典:https://basketballking.jp/news/japan/b1/20200708/239533.html

生年月日 1985年6月17日
身長 210cm
足のサイズ 32cm
ポジション C

ニコラス・ライアン・ファジーカスは、現在川崎ブレイブサンダースでプレイするBリーガーです。

NCAAの中では、名門とは言えないネバダ大学でプレイし、4年連続NCAAトーナメント出場という同校としては快挙を達成。また、2005年から2007年の3年連続でカンファレンスの年間最優秀選手に選ばれ、同校の通算得点記録を塗り替えた人物でもあります。

2007年のNBAドラフト2巡目でダラス・マーベリックスに指名され、NBAデビューしますが、同チームにダーク・ノヴィツキーという後にレジェンドとなる似たタイプの選手がいたことと、チームがジェイソン・キッドを獲得しようとしていたことから、トレードされ、最終的にはロサンゼルス・クリッパーズと契約しましたが、シーズン終了後には契約されず、その後は複数の国リーグでプレイし、最終的に日本に辿り着きました。

2018年に日本国籍を獲得して、日本代表として活躍しています。長身と幅のある体格と、柔らかいシュートタッチを活かした得点能力を武器とする選手です。

NBAサマーリーグのみ参加した日本人選手

ここまで紹介したのは、あくまでNBAチームと契約した選手もしくは、契約ギリギリまで至った選手ですが、実はNBAのサマーリーグには多くの日本人選手が参加しており、日本人のNBA挑戦が続いています。ここからは、惜しくもNBA入りは果たせませんでしたが、NBAサマーリーグに参加した日本人選手をご紹介します。

川村卓也

川村卓也

画像出典:https://www.basketball-zine.com/article/detail/112469

生年月日 1986年4月24日
身長 213cm
足のサイズ 30cm
ポジション SG

川村卓也選手は、当時の日本男子では珍しく、高校卒業からいきなりプロになった選手です。

得点能力に優れており、サイズも190cmと当時の日本人では大柄な方でした。 2009年にサマーリーグに挑戦。フェニックス・サンズのユニフォームを着ましたが、契約書類の不備やスタッツも奮わず、NBAのどこのチームからも声がかかりませんでした。

竹内公輔

竹内公輔

画像出典:https://basketballking.jp/news/japan/b1/20200604/233489.html

生年月日 1985年1月29日
身長 206cm
足のサイズ 31cm
ポジション C / PF

竹内ツインズと呼ばれる双子の兄の公輔選手。

日本バスケ界の黄金世代である「竹内世代」の主役です。206cmのサイズとパワーを持ち、日本人のビッグマンとしては機動力のあるところが武器です。洛南高校、慶應大学で輝かしい成績を残し、大学時代から日本代表に名を連ねるようになった竹内公輔選手は、2010年にミネソタ・ティンバーウルブズの一員としてサマーリーグに参加しました。日本やアジアではある程度通用していたプレーがなかなか通用せず、結局どこからも声がかかることなく、2011年にトヨタ自動車アルバルク(現:アルバルク東京)にて日本のリーグに復帰しました。

馬場雄大

馬場雄大

画像出典:https://basketballking.jp/news/world/nba/20220719/383444.html

生年月日 1995年11月7日
身長 196cm
足のサイズ 30.5cm
ポジション SG / SF

八村選手、渡邊選手の活躍で日本人にとってNBAが近くなり、驚くほどの身体能力を武器に、サマーリーグに参加したのが馬場選手です。

最初はなかなかボールが回ってこないなどの洗礼を受けましたが、試合の重要な場面でのスティールや、ジャンプ力を活かしたダブルクラッチなどを見せ、ダラス・マーベリックスの一員としてサマーリーグで活躍しました。その後、サマーリーグでの活躍を認められ、ダラス・マーベリックスとエキシビット10というキャンプとプレシーズンマッチのみ参加OKとなる契約を結びBリーグから初めてNBA契約を勝ち取った選手となりました。しかし、それ以上の契約をいきなり受け取ることはできず、ダラス・マーベリックスの下部チーム(NBAGリーグ)のテキサス・レジェンズと契約しました。

また、その後にゴールデンステイト・ウォリアーズの一員としてサマーリーグに参加しますが、これでもNBAチームからの本契約を勝ち取ることはできていません。

NBA選手の契約の種類を詳細まで解説!複雑な単語も簡単に理解
バスケの最高峰NBAには、選手の契約に関するルールがたくさんあり、とても複雑です。そこで今回は、NBA選手の契約に基本的な概要と種類について、初心者でも簡単に理解できるように解説していきます。

比江島慎

比江島慎

画像出典:https://basket-count.com/article/detail/92715

生年月日 1990年8月11日
身長 190cm
足のサイズ 30cm
ポジション SG

比江島慎選手は、馬場選手と共にBリーグからNBAのサマーリーグへの参加が認められた選手です。

サマーリーグ参加以前に、オーストラリアのリーグに参加しましたが、思うような結果が出せず帰国した比江島選手にとっては、周囲を見返すチャンスではありましたが、サマーリーグ中の地震の影響などもあり、サマーリーグでほとんどプレイタイムをもらうことができず、ニューオリンズ・ペリカンズの一員としてのサマーリーグは幕を閉じました。

外山 英明

外山英明

生年月日 1967年3月13日
身長 197cm
足のサイズ 30cm
ポジション SF/PF

外山英明選手は、JBLスーパーリーグ時代に活躍したSFで、日本国内でのバスケットボール選手としてプロ契約を結んだ第一号として知られている選手です。当時の日本では珍しく197cmのサイズながらガードやフォワードのプレイを得意としており、プロ契約をした年にサマーリーグに参加していました。

しかし、当時報道もあまりされておらず、どのチームに所属して参加していたのかなどの詳細はなかなか分かりません。

日本に関係するNBA選手

バスケットボールが盛んになり始め、NBAが誕生した頃、バスケットボールは白人のスポーツでした。
そんな世界で、非白人選手として初めてNBA選手となったのが、「ワッツ・ミサカ」こと「三阪 亙」でした。

両親が「日本人」である日系人ですが、本人は、日本語をほとんど喋ることができず、
戦争も”アメリカ軍”として参加していたため、日本人としての紹介は避けました。

しかし、定かではありませんが、NBA選手になった当初、
ワッツ・ミサカはアメリカ国籍と日本国籍の両方を保持していたとも言われています。

もし、それが本当であれば日本国籍選手の初のNBA選手はワッツ・ミサカということになるでしょう。

最後に

いかがでしたでしょうか。田臥選手が日本人初めてのNBA選手であることを知らない方は少ないですが、
NBA入りが惜しかった選手やNBAの試合に招待されている選手がこれほどいることに驚いた人もいるのではないでしょうか。
2020年現在では、アメリカの大学に留学している日本人選手も増えており、今後さらにNBAのサマーリーグなどに参加する日本人選手が増えると予想されており、
今後はもっと多くの日本人NBA選手が生まれていくことでしょう。

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